こんにちは。
今回は、現在、政治家女子48党に属する立花孝志さんの若い頃について見ていきます!
普段テレビなどで見るパフォーマンスからは想像できない、意外な過去と人柄が見えてくるかもしれません・・・
学生時代の立花孝志 家庭環境とは裏腹の学力
立花孝志さんは、家庭環境が厳しくても学力で頭角を現しました。
彼の両親はW不倫をしており、家に帰ってこないことも多かったそうです。
結局、彼が幼稚園の時に両親は離婚・・・
そんな状況の中でも彼は、試験前しか勉強しなかったにもかかわらず、常に学年トップの成績を収めていました。
家から近いという理由で選んだ偏差値30台の大阪府立信太高等学校でさえも、彼の頭脳は光り輝いていました!
彼の学力は非常に高く、入学試験ではダントツのトップで、実は、進学校として名高い大阪府立三国丘高等学校に合格できるレベルだったとのことです!
立花、お前なんでうちの高校来てん?
と、1年生の時の担任の先生に不思議がられたそうです^^;
立花孝志 パチプロとしての驚愕の才能
立花孝志さんは高校時代からパチンコを始め、パチプロ級の腕前だったようです。
彼は学生時代にクラブ活動をせず、新聞配達のアルバイトを朝、夕と行い、夏休みと冬休みは祖父母の家に行き連絡船の切符を切る仕事や掃除をしてバイトしていました。
彼は
と述べています。
NHK時代の立花孝志 内部告発で懲戒処分⁉
立花孝志さんは高校を卒業後、NHKに入局しました。
彼は、入局当時は和歌山放送局の庶務部に配属され、その後NHK大阪放送局経理部、NHK本部報道局スポーツ報道センター、NHK本部編成局に異動しました。
彼は、NHK勤務時代にNHKの裏金作りを上手にやっていたとされています。
2005年4月、週刊文春でNHKの不正経理を内部告発し、7月に自身の不正経理で懲戒処分を受けNHKを依領退職しました。
立花孝志さんはその後、フリージャーナリストとして活動し、パチプロで8年間生計を立てていました。
2012年9月に「立花孝志ひとり放送局株式会社」を設立し、2013年6月に政治団体「NHK受信料不払い党」(翌月に「NHKから国民を守る党」に党名を変更)を設立し、政治活動を本格的に行い始めました。
彼の政治家としてのキャリアは、千葉県船橋市議員に初当選した2015年から始まり、その後東京都葛飾区議員に当選。
2019年には参議院議員選挙で比例区から立候補して当選し、国政政党(NHKから国民を守る党)の党首となりました。
失礼ながらただのパチプロから、国政政党の党首へと飛躍したことは、まあいろいろと批判もありましたが、こうして振り返ってみると鮮やかと言えるのではないでしょうか?
まとめ
立花孝志さんの若い頃のお話は、かなり興味深いものでしたね。
決して恵まれていたとは言えない境遇から、自力と小さな運により這い上がり、そして闘ってきた半生だったように感じます。
今後も世の中をいろんな意味で騒がせるでしょうが、やはり、立花さんのパフォーマンスには期待してしまいますね^^
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